父と歩く日々 ― 少しずつ忘れていく父と、忘れたくない家族の記録 ―

Contents

第1話 父が少しずつ忘れ始めた日

「介護日記を書いてみよう。」

そう思ったのは、父が認知症と正式に診断されたからではありません。

実は、父はまだ認知症とは診断されていません。

それでも、ここ数年で父に起きた出来事や、少しずつ変わっていく姿を見ていると、「今、この瞬間を残しておかなければ後悔するかもしれない」と思うようになりました。

この日記は、認知症の症状を記録するためのものではありません。

父という一人の人間が、どんな人生を歩み、どんな家族を支え、そして今どんな毎日を送っているのか。

そんな父との日々を、長男である私の目線で、ありのまま綴っていこうと思います。

どうぞ、温かく見守っていただけたら幸いです。


父は今年78歳になります。

昭和という時代を生き抜いてきた、ごく普通の父親です。

若い頃は東京へ出て料理人として働いていました。

料理人だったことは父にとって今でも大きな誇りです。

料理の話になると、どこか嬉しそうに昔を思い出し、「東京で修業したんだ」と話してくれます。

テレビで東京の街並みが映ると、「昔はあそこによく行った」「あの頃の東京はな……」と、思い出話が始まります。

その話は何度も聞いているはずなのに、不思議と嫌ではありません。

父にとって、あの頃の東京は青春そのものなのでしょう。

今でも我が家の料理は父が担当です。

味付けにはこだわりがあり、自分なりの流儀があります。

「料理だけは負けない。」

そんな父の誇りを、私は子どもの頃から見てきました。

性格は昭和の職人気質。

頑固で、一度「こうだ」と思ったら簡単には曲げません。

少し上から物を言うこともあります。

でも、本当は穏やかな人です。

嫌いなことには無理に関わろうとせず、芸能番組にはほとんど興味を示しません。

NHKやBSで動物番組や自然番組を静かに眺めている、そんな時間が好きな人です。

煙草を片手にテレビを見ている姿は、私が子どもの頃から変わらない父の日常でした。


そんな父には、何よりも大切な存在がいます。

孫です。

私には三人の子どもがいます。

長女のR、長男のK、次男のSです。

父は三人とも本当によくかわいがってくれました。

孫が遊びに来ると、表情が一気に柔らかくなります。

帰る頃には必ずと言っていいほど、お小遣いを持たせています。

「また来いよ。」

その短い一言の中に、父らしい愛情が詰まっています。

特に忘れられない思い出があります。

Kが小学校、中学校とサッカーに夢中だった頃、私たち夫婦は試合の応援で家を空けることが何度もありました。

その間、まだ幼かったSの面倒を見てくれたのが父でした。

公園へ連れて行き、一緒に遊び、笑わせ、夕方まで面倒を見てくれました。

安心して応援へ行けたのは、父がいてくれたからです。

RとKが学習塾へ通っていた頃には、授業料まで負担してくれました。

「子どものためなら。」

父は多くを語る人ではありません。

でも、その背中がすべてを語っていました。

私は今でも、その恩を忘れていません。

だからこそ、今度は私が父を支える番だと思っています。


数年前、母が脳梗塞で倒れました。

左半身に麻痺が残り、今では家の中では四点歩行器を使い、外では車いすで生活しています。

車の乗り降りにも介助が必要です。

そんな母を一番近くで支えてきたのは父でした。

毎日の食事を作り、病院へ送り迎えをし、「俺しかいないんだから」と言いながら、文句一つ言わずに母を支え続けてきました。

その姿を見ていた私は、「父なら大丈夫」と思っていました。

父もきっと、自分はまだまだ元気だと思っていたはずです。


ところが、少しずつ違和感を覚えるようになりました。

頼んでおいたことを忘れる。

同じことを何度も聞く。

「あとでやっておく」と言っていたことを覚えていない。

最初は「歳のせいかな」と思っていました。

でも、その回数は少しずつ増えていきました。

「あれ?」

そう思ったのが始まりでした。


その後、父は膀胱がんと診断され、手術を受けることになりました。

ところが、手術を終えたその日に、「家へ帰る」と言い始めたのです。

病院の職員の方々が止めても聞き入れず、結局その日のうちに退院することになりました。

私は驚きました。

そして、さらに驚いたのは、その出来事自体を父が覚えていなかったことです。

「そんなことあったか?」

父は本当に覚えていませんでした。

その後、慢性硬膜下血腫が見つかり、再び入院し、手術を受けました。

そのときも父は「帰る」と言い張り、病院から連絡を受けた私は急いで駆けつけました。

あの夜、一緒に病院で過ごした時間を、私は今でも鮮明に覚えています。

けれど父は、その出来事も忘れていました。

医師から説明を受けた内容も、手術を受けたことも、その日のうちに忘れてしまうのです。

忘れたことをごまかすように、とぼける父を見て、最初は腹が立ちました。

「どうして覚えていないんだ。」

そう思ってしまった自分もいました。

でも、それ以上に胸が締めつけられました。

仕事熱心で、何事にも責任感が強く、家族を引っ張ってきた父。

その父が、目の前で少しずつ変わっていく。

その現実を、私はなかなか受け入れることができませんでした。

情けないとか、残念だとか、そんな一言では表せません。

寂しさ、切なさ、歯がゆさ……。

いろいろな感情が入り混じり、ただ父の横顔を見つめることしかできませんでした。


それでも父は、昔の父のままの部分もたくさん残っています。

孫が来れば笑顔になります。

料理も毎日作っています。

母とは冗談を言い合い、二人で笑っています。

東京の話になると目を輝かせます。

昔話は何時間でも話せます。

そんな姿を見るたびに、「父は父のままだ」と安心する自分もいます。


今、一番悩んでいるのは車の運転です。

父はまだ普通に運転しています。

運転技術だけを見れば、大きな不安は感じません。

でも、物忘れは確実に増えています。

もし事故を起こしてしまったら。

そう考えると怖くなります。

一方で、母を病院へ連れて行くのは父です。

免許を返納すれば、その生活も大きく変わります。

私も妻も、答えが見つかりません。

今年九月、精神科を受診する予定です。

その診察結果を聞きながら、父とも向き合っていかなければならないと思っています。


今日、父は近くの図書館へ行きました。

借りてきたのは、父の好きな池上彰さんの本でした。

その姿を見て、少し安心しました。

本を読み、料理を作り、母と笑い合い、孫をかわいがる。

そんな穏やかな毎日が、少しでも長く続いてほしい。

そして、もし体調が落ち着いたら、また昔好きだったスポーツに触れてほしい。

グラウンド・ゴルフでもいい。

もう一度、仲間と笑いながら体を動かす父の姿を見てみたい。

それが、今の私の小さな願いです。


この日記に正解はありません。

楽しい日もあれば、つらい日もあるでしょう。

時には腹が立つ日もあるかもしれません。

それでも、そのすべてが父との大切な時間です。

父は少しずつ忘れていくのかもしれません。

でも、父が家族に与えてくれた愛情や、支えてくれた日々を、私は忘れません。

だから今日から、この日々を書き残していこうと思います。

つづく

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