
はじめに
今日、父が膀胱腫瘍の手術のために入院した。
それは、家族にとって大きな出来事であると同時に、私自身の人生にとっても、ひとつの節目の日だったように思う。
父は70代後半。
最近、物忘れが目立つようになってきた。
さっき話したことを、ほんの数分後には忘れてしまう。
今日入院すること、明日手術をすること――
何度説明しても、また同じ質問が返ってくる。
「なんで入院するんだったかな?」
「明日って、何があるんだ?」
そのたびに私は、できるだけ穏やかに、同じ言葉を繰り返す。
けれど、胸の奥では、静かに、確実に、何かが変わり始めていることを感じていた。
何度も同じことを聞く父
病院のベッドに横たわる父は、どこか心細そうだった。
点滴の管、見慣れない天井、病院特有の匂い。
母と離れて過ごす初めての夜を前に、落ち着かない様子が伝わってくる。
「明日、手術だよ。膀胱の腫瘍を取るんだよ」
そう説明すると、父は一度はうなずく。
「そうか、そうだったな」と。
けれど、数分後には、また同じ質問が返ってくる。
悪気があるわけではない。
ただ、記憶が、少しずつ、少しずつ、こぼれ落ちていっているだけなのだ。
以前なら、そんな父の姿に戸惑い、寂しさを感じていたかもしれない。
しかし今日は、不思議と、怒りも焦りも湧かなかった。
それよりも、「今は、私が支える番なんだ」という思いの方が、強く胸にあった。
頼れるのは、自分だけ
母は身障者で、日常生活にも多くの支えが必要だ。
弟は県外に住み、仕事の都合で簡単には帰ってこられない。
誰が悪いわけでもない。
それぞれの事情がある。
だから今、父と母を支えられるのは、私しかいない。
その現実を、私は今日、はっきりと受け止めた。
正直に言えば、不安がないわけではない。
これから先、どれほどの時間と労力が必要になるのか。
仕事との両立はできるのか。
自分の心は、折れずにいられるのか。
それでも――
逃げたいとは、思わなかった。
優しかった父の記憶
思い返せば、父はいつも、静かに家族を支えてくれていた。
決して多くを語る人ではなかったけれど、背中で示す人だった。
孫たちの面倒を、嫌な顔ひとつせず見てくれた。
公園で遊び、送り迎えをし、時には叱り、時には笑わせてくれた。
私が忙しいときも、「大丈夫だ、任せておけ」と言ってくれた。
そんな父の姿を、私はずっと見てきた。
だからこそ、心のどこかで、ずっと前から決めていたのだと思う。
――この人が弱くなったときは、私がそばにいよう、と。
介護の始まりとしての手術
今回の手術は、父にとっても、家族にとっても、大きな出来事だ。
けれど私は、この手術を「終わり」ではなく、「始まり」だと考えている。
これから、父の人生は、今までとは少し違った形で続いていく。
物忘れは、きっとこれからも進むだろう。
できないことも、少しずつ増えていくかもしれない。
それでもいい。
それが、父の人生なのだから。
この手術は、長い介護の手始め。
そう考えることで、私は覚悟を決めることができた。
両親への恩返し
父は今、母と離れて、寂しそうにしている。
面会時間が終わり、帰ろうとすると、少し不安そうな目でこちらを見る。
「また来るからね」
そう声をかけると、父は安心したようにうなずいた。
この人たちに、私はどれほどの愛情を注いでもらっただろう。
不自由なく育ててもらい、守ってもらい、支えてもらった。
今だからこそ、その恩を返したい。
それは義務ではなく、自然に湧き上がる気持ちだ。
早く、元気になって
手術は明日。
約1週間の入院予定だという。
どうか、無事に終わりますように。
そして、また元気な父の姿を見せてほしい。
家に帰って、母と一緒に過ごそう。
また、何気ない日常を重ねていこう。
父さん、
ゆっくりでいい。
忘れてしまってもいい。
何度でも、同じ話をしよう。
これからは、私がそばにいる。
おわりに
今日という日は、きっと忘れられない一日になる。
父の入院と手術。
そして、私自身が「家族を支える側」として、本当の意味で一歩を踏み出した日。
人生は、いつの間にか、役割が入れ替わる。
それは悲しいことではなく、自然な流れなのだと思う。
父と、母と、これからも一緒に生きていく。
その決心を、ここに記しておきたい。
神社にもお参りに行ってきたよ。
だから、早く元気になって、また家に帰ろうね、父さん。

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