能登半島地震~5歳児やけど あまりにも・・~

能登半島地震~5歳児やけど あまりにも・・~

今年になって、悲惨な事故やニュースが後を絶たない。

能登半島地震や羽田空港事故、

芸能人でも、八代亜紀さんが亡くなるなど、

今年はどうなってるんだと

いいたくなる。

その中でも、あまりにも

可哀そうすぎて

親の気持ちを考えると

涙が出た。

5歳児がやけどで

元旦の午後4時頃に、やかんが置かれた石油ストーブの上で、餅を焼いていたという5歳児。

地震で揺れて倒れてきたやかんの湯で、おしりなどにやけどを負ってしまったという。

ただれて、母親が慌てて救急車を呼ぶも、「やけどでは出動できない」と断られる。

母親が自分の車で、病院を目指すが、道は地震でひび割れて、渋滞が発生する。

すがる思いで、もう一度119番すると、救急車が来てくれた。

しかし、重傷でないため、入院を断られてしまう。

その間にも、5歳児は「かゆい、痛い」を泣き続ける。

入院できないため、仕方なく病院のロビーで一夜を明かすことになる。

1月3日朝

元旦にやけどを負い、2日は様子を見たのだろうか。

推測でしかないけれど、入院できないため、病院から薬だけはもらい、自宅に帰ったのかもしれない。

2日は病院でもらった薬を塗って様子をみていたのかもしれないが、5歳児は痛かっただろう。

そして、3日の朝。

41度の高熱を発症。5歳児を苦しめる。

4日。やけどで違う病院に向かうが、発熱者は部屋に入れないと言われ、待機が続く。

ようやく診察の番になり、ストレッチャーに乗せられたが、

呼吸は止まっていた・・

あまりに悲しい。

母親は

「なぜ入院させてくれなかったのか。病院にいさえすれば助かったかもしれないのに・・・」

やけどで患部に触れることさえできず、

抱っこをゆだねられても、5日間もの間、一度も抱くことができなかった。

「何もできなかった。守ってあげれなくて、ごめんね」

顔を覆ったという。

優しくて気の利く元気な子だったという。

5歳児とのツーショットに設定したLINE(ライン)のアイコン。

亡くなった後に、一言メッセージを添えたという。

よくがんばったね。幸せな時間をありがとう。だいすきやよ。

こんな緊急事態は

あまりにむごいニュースに

思わず、口を覆って、号泣してしまった。

もう大きくなってしまったが、我が家にも子供がいる。

自分の育児のことを思い出すと、母親の心痛がどれ程のものだったか想像できない。

可哀そうすぎる。

しかし、この緊急事態である。

地震直後ということで、医療機関も容易には対応できなかったのかもしれない。

次々に震災に遭われた方が運び込まれる中、病院が運ばれたときの症状をどれだけ把握できていたか。

このようなことが、災害関連死というのだろうか。

事態は日に日に深刻化しているという。

断水が解消されないとも聞く。

悪天候も災いし、数日後にはまた降雪がある模様。

早くこの窮地を打開してほしい。

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