残暑の夜を少しでも涼しく過ごしていただきたく、心にひんやりと忍び寄る「ちょっと怖い話」をシリーズ化してお届けします。どうぞ背筋を涼しくしてお楽しみください。

👻 深夜のコンビニ 👻
午前2時、住宅街の外れにあるコンビニは、夜勤のアルバイト店員と客が一人二人いる程度の静けさだった。仕事帰りの男は、カップ麺と缶コーヒーを手にレジに並んだ。
会計を済ませ、ふと視線を奥の防犯ミラーに向けた瞬間、血の気が引いた。自分の後ろに、長い髪の女が立って映っている。白い服を着て、顔を伏せたままぴたりと背中に張り付いていた。慌てて振り返ったが、誰もいない。店員も他の客も気づいていないようで、淡々と作業を続けている。
気味が悪くなり、急いで外へ出る。だが自動ドアを抜けた途端、背後からガラスを叩く「コン…コン…」という音が響いた。振り返ると、さっきの女がドアの内側に張り付き、こちらを睨んでいた。顔はただ黒い穴のように空洞で、口だけが大きく開いていた。声は聞こえないのに、確かに「待って」と言っているのが分かった。
男は全力で走り、やっと自宅に飛び込んだ。鍵を閉めて安堵した瞬間、ポケットの中に違和感を覚えた。取り出すと、レシートが濡れている。インクが滲み、そこには購入した覚えのない文字が浮かび上がっていた。
「女物の白いワンピース ¥0」
震える手でレシートを捨てたが、翌朝確認すると、ゴミ箱の中には何もなかった。代わりに、玄関の床に濡れた足跡が一つ、家の奥へと続いていた。
今も男は深夜にコンビニへ行けない。だが不思議と、夜中になるとスマホの通知が鳴ることがある。画面を見ると、購入履歴に必ずこう表示されている。
「深夜2時、女物のワンピース ¥0」
👻 深夜の電話ボックス 👻
終電を逃し、人気のない道を歩いていると、古びた電話ボックスが目に入った。今どき誰も使わないはずなのに、中の蛍光灯だけがぼんやりと灯っている。
通り過ぎようとした瞬間、「プルルル…プルルル…」と呼び出し音が鳴り響いた。思わず足を止めたが、辺りに人影はない。気味が悪くなり歩き出そうとしたとき、今度は耳のすぐ近くで響いたように音が強くなった。吸い寄せられるように扉を開け、受話器を取った。
「……聞こえますか」
かすれた女の声がした。電話線につながっている様子もないのに、確かに声が届いている。震える声で「どちら様ですか」と問うと、数秒の沈黙の後、返ってきたのはひとこと。
「……後ろにいる」
慌てて受話器を置き、振り返ったが誰もいない。全身が総毛立ち、逃げ出そうとしたが、なぜか扉が開かない。内側から押してもびくともしない。息が荒くなり、ガラスに白い息が広がった。
そのとき、背中に生ぬるい吐息がかかった。「ふぅー…ふぅー…」と規則的に、確かに誰かが真後ろに立っている。恐怖で振り返ることができず、必死に目を閉じた。
耳元で囁きがした。
「次は、あなたの番だから」
気を失ったように意識を失い、気づけば朝になっていた。ボックスの中に一人で倒れていた自分を、通勤途中の人に起こされて正気に戻った。
だが、ポケットの中には覚えのない硬貨がぎっしり詰まっていた。どれも古びて黒ずみ、血のような匂いを放っていた。
後で知ったのは、その電話ボックスでは昔、女性が助けを求めて必死に電話をかけていたが、誰にもつながらずに殺されてしまったという噂だった。以来、深夜になると「誰かが受話器を取るのを待っている」のだという。
👻 夜道の足音 👻
残業で遅くなり、住宅街を抜ける近道の細い夜道を歩いていた。街灯は少なく、ところどころが闇に沈んでいる。時計を見ると深夜0時を回っていた。
アスファルトに響く自分の靴音がやけに大きく感じられた。だが数十メートル進んだところで、ふと気づく。自分の足音に、もうひとつ「コツ…コツ…」と重なる音がある。立ち止まると、もう一つの音もぴたりと止んだ。胸の奥がざわつく。恐る恐る振り返ったが、誰もいない。
気のせいだと自分に言い聞かせて再び歩き出す。すると、また「コツ…コツ…」と一定の間隔で音が続く。しかも今度は、ほんの少しずつ間合いを詰めてきていた。心臓が喉までせり上がり、息が荒くなる。
やがて、背後で「スーッ、スーッ」と呼吸の音まで聞こえてきた。振り返りたい衝動に駆られたが、直感が叫んでいた――見てはいけない、と。
角を曲がった瞬間、風もないのに頬に生ぬるい息がかかった。全力で走り出し、ようやく自宅の前にたどり着く。玄関の鍵を震える手で開け、飛び込むように中に入った。
安心しかけたその時、背後の扉が「コン、コン」とノックされた。恐怖に凍りつきながら、ドアスコープを覗いた。そこには誰もいなかった――はずだった。だが、視界の隅に、白い手だけが画面を塞ぐように伸びてきていた。
慌てて飛び退いた瞬間、ノックは止んだ。静寂が戻り、耳の奥に自分の荒い息だけが残った。
翌朝、玄関の前には濡れた足跡がひとつだけ残されていた。裸足の小さな足跡が、家の中へ続くように。
👻 消えた宿泊客 👻
出張先で予約した古いホテルは、外観こそ改装されていたが、中に入ると薄暗い照明とカビのような匂いが漂っていた。チェックインを済ませると、フロントの女性が一瞬ためらうように部屋番号を告げた。
部屋に入ると、ベッド脇に小さなソファが置かれており、その上に濡れたタオルが無造作に置かれていた。清掃の忘れ物かと思い、フロントに連絡しようと受話器を取ると、すでに「もしもし」と女の声が返ってきた。慌てて切ったが、受話器は重く湿っていた。
眠れぬまま夜中の二時を迎えた頃、ふと目を覚ますと、ソファに人影が腰掛けていた。黒髪で顔の見えない女が濡れたタオルを握りしめ、こちらを向かずにじっと座っている。息を潜め、まばたきすらできなかった。次に目を閉じて開けたときには、もう影は消えていた。
朝になり、震える手でフロントに部屋を変えてほしいと告げると、従業員は無表情のまま首を振った。
「……昨夜、この部屋にもう一人宿泊されていたはずですが」
「いや、僕は一人で……」と言いかけたとき、従業員は客簿を差し出した。そこには自分の名前のすぐ下に、赤字で殴り書きされた別の名前があった。筆跡は乱れており、インクが滲んで血のように見えた。
恐ろしくなり、そのまま荷物をまとめてホテルを飛び出した。駅に着いて汗を拭おうとポケットに手を入れると、くしゃくしゃの紙切れが入っていた。開くと、そこには震える字でこう書かれていた。
「次はあなたの番です」
👻 鏡のあるホテル 👻
出張で泊まったビジネスホテルの部屋は、狭いが清潔感があった。ただ一点だけ気になったのは、ベッドの正面に置かれた大きな鏡。薄暗い照明の下で妙に黒く沈み込み、自分の顔が落ち着かないほど影を帯びて映っていた。
深夜、眠りにつこうと電気を消すと、鏡の中だけがぼんやりと明るく見える。気のせいだと思い、布団に潜り込んだ。しばらくして目を開けると、鏡に人影が立っていた。背の高い男がじっとこちらを見ている。ベッドの前には誰もいないのに、映像の中にだけ存在している。
恐怖で動けないまま瞬きをすると、影は鏡の中から少しずつ近づいてきた。ガラスを隔てているはずなのに、気配は確かに部屋に満ちていく。耳元で「ザァ…ザァ…」と水音が聞こえ、鼻をつくのは鉄のような生臭さ。呼吸が荒くなり、息遣いが重なって響く。
やがて影がベッドのそばまで来たとき、鏡の表面に「ベタリ」と濡れた手形が浮かび上がった。その手はやがてゆっくりと動き、こちらに向かって何度もノックするように叩き始めた。
「コン、コン、コン……」
耐えきれず明かりをつけた瞬間、鏡には自分しか映っていなかった。安堵して息を吐いたそのとき、背中から冷たい声が落ちてきた。
「……代わってくれないか」
振り返ると誰もいない。だが鏡の中の自分が、ほんの一瞬だけ、口元を歪めて笑っていた。
翌朝チェックアウトする際、フロントで何気なく聞いてみた。「この部屋、鏡って元から置いてあるんですか?」
従業員は一瞬言葉を濁し、こう答えた。
「ええ……以前、あの部屋で亡くなった方がいまして。鏡の位置は遺族が“そのままにしてほしい”と……」
以来、彼はホテルで鏡のある部屋を絶対に選ばなくなった。今でもあの夜のノック音が耳の奥に残っている。
👻 廃病院の声 👻
かつて地域の総合病院として賑わっていた建物は、老朽化で取り壊されることもなく放置され、今では肝試しの定番となっていた。
ある夜、好奇心から一人で中に足を踏み入れた青年がいた。
玄関の自動ドアは壊れて開け放たれており、風に揺れて「ギィ…」と鈍い音を立てる。中に入ると、薬品のような甘ったるい匂いが鼻を突き、廊下のタイルは湿ってぬめりがあった。懐中電灯の光が壁の剥がれたペンキを照らし、遠くで何かが滴る「ポタリ、ポタリ」という音が響く。
二階へ続く階段を上ると、突然「カタッ」と金属音がした。手術室の扉がわずかに揺れている。恐る恐る近づくと、中から「カリ…カリ…」と爪で引っかくような音が聞こえてきた。心臓が嫌なリズムで高鳴り、手が震える。
意を決してドアを押し開けると、室内には古びた手術台が一つ。埃をかぶったライトが不気味に揺れている。だが、最も異様だったのは、手術台の上に残された黒ずんだシーツ。そこから生暖かい匂いが漂い、まるで今も誰かが横たわっているかのように膨らんでいた。
「……見てる」
誰かの囁きが耳元で聞こえた。息が首筋をかすめ、思わず振り向くと、背後には誰もいない。だが視線を前に戻した瞬間、手術台のシーツが「ぐしゃっ」と沈み、そこに人影の輪郭が浮かび上がった。
恐怖で足がすくむ中、ライトが一斉に点滅し、カーテンがばさばさと音を立てた。次の瞬間、耳をつんざく女の叫び声が響き渡る。頭を抱えて逃げ出した青年は、息を切らしながら病院を飛び出した。
外の空気を吸ったとき、もう背後には何の音もしなかった。ただ、耳の奥には今もあの囁きが残っている。
「……次は、あなたの番」
後日、その病院では、かつて手術中に亡くなった患者がいて、以来「夜になると手術室で声が聞こえる」と噂されていたことを知った。彼は二度とあの病院に近づくことはなかった。
👻 闇に沈むトンネル 👻
山あいを抜ける古いトンネルは、昼間でも薄暗いことで有名だった。深夜、友人を送り届けた帰り道、そのトンネルに差しかかったとき、彼は強烈な胸騒ぎを覚えた。
入口に差しかかると同時に、ラジオがざざっと雑音を立て、車内の空気がひどく重くなる。窓を閉め切っているはずなのに、湿った土と古い鉄のような匂いが流れ込んできた。ハンドルを握る手にじっとりと汗がにじむ。
トンネルの中ほどまで進んだとき、「コツ…コツ…」と硬い足音が響いた。ラジオのノイズと重なり、耳の奥にこびりつくように離れない。後部座席を確認する勇気はなく、ただ前を見据えてアクセルを踏む。
だが次の瞬間、耳元で「はぁ…はぁ…」という息遣いが聞こえた。バックミラーを覗くと、後部座席に長い髪の女が俯いて座っていた。髪が濡れているのか、ぽたぽたと水滴が落ち、シートがじわりと濡れていくのが見えた。
恐怖で体が硬直したまま、トンネルを抜けようと必死にスピードを上げる。だが出口はなかなか近づかない。まるで距離が伸びているかのようだった。鼻をつくのは錆びた鉄の匂いと、どこか甘ったるい臭気。吐き気をこらえながら必死にハンドルを握った。
やっと出口の光が見えた瞬間、耳元で囁きが響いた。
「……ここで降ろして」
振り返る勇気はなかった。ただ全力で外へ飛び出すように走り抜けた。冷たい夜風に包まれたときには、後部座席は空っぽになっていた。
安堵の息を吐いたが、視界の隅に奇妙なものが映った。トンネルの入口近くに、髪の長い女が立っていた。口を大きく開き、歪んだ笑みを浮かべながら、手を振っていた。
後日、そのトンネルでは過去に女性が事故死しており、深夜に通ると後部座席に乗り込んでくる――という噂があると知った。彼は二度とその道を走らなくなった。
👻 夜の音楽室 👻
文化祭の準備で遅くなり、校舎を出たのは夜の9時を過ぎていた。誰もいないはずの廊下はしんと静まり返り、靴音だけがコツコツと響く。その響きがやけに反響して、後ろから誰かがついてきているように思えた。
昇降口に向かおうとしたとき、ふと耳に届いたのはピアノの音だった。ポロン…と一音。続けて、ぎこちないメロディが断片的に流れる。音源は二階の音楽室の方からだ。もちろん、この時間に誰かが練習しているはずがない。
恐怖よりも好奇心が勝ち、彼は足を向けてしまった。階段を上がるにつれ、音ははっきりと大きくなる。だが、不思議と旋律が途切れるたびに「はぁ…はぁ…」という息遣いが混じって聞こえた。誰かが苦しそうに鍵盤を叩いているようだった。
音楽室の前に立つと、中は真っ暗だ。それなのに確かにピアノは鳴っている。ドアの隙間から覗くと、月明かりに照らされたピアノの前に、人影が座っていた。肩までの髪を垂らした女子生徒のようだが、背中が不自然に震えている。
思わず息をのんだ瞬間、ピアノの音がぴたりと止んだ。代わりに、甘ったるいような、鉄が錆びたような匂いが鼻を突いた。血の匂いに似ていた。
影がぎぎ、と振り返る。顔は真っ黒で目鼻の区別もない。ただ、口だけが裂けるように大きく開き、そこから湿った息が「ふぅーっ」と吹きかけられた。冷たくも熱くもない、生ぬるい風が頬にまとわりつき、足がすくんだ。
次の瞬間、鍵盤が一斉に叩かれ「ジャーン!」という不協和音が鳴り響いた。耳をふさいでも、音は頭の中に直接響いてくる。恐怖に耐えられず、彼は踵を返して必死に走った。背後からは「コン、コン」と足音が確かに追ってきていた。
やっと昇降口までたどり着き、外に飛び出すと、夜風が冷たく頬を打った。振り返ると校舎は闇に沈んでいて、音も匂いも気配も消えていた。だが、耳の奥ではまだ不協和音が鳴り続けているように感じられた。
翌日、仲間にその話をすると「昔あの音楽室で自殺した女生徒がいる」と囁かれた。遺体はピアノの前に突っ伏すようにして見つかったらしい。
それ以来、彼は夜の校舎を決して一人で歩かなくなった。あの息遣いを、もう二度と耳にしたくはなかった。
👻 終電の窓 👻
終電に飛び乗ったのは、夜の0時を少し回った頃だった。最後尾の車両に座ると、車内は異様なほど静まり返っていた。エアコンの風も弱く、聞こえるのは規則的な「ガタン…ゴトン…」というレールの継ぎ目の音だけだ。
ふと鼻をくすぐったのは、鉄錆のような匂い。夏でもないのに、湿った土のような匂いも混じっていた。思わず背筋が粟立つ。
視線を窓に移すと、そこに人影が映っていた。向かいの座席に、長い髪の女がうつむいて座っている。実際には誰もいないのに、ガラスの中にだけ存在している。心臓が高鳴り、喉が乾いてごくりと唾を飲む音がやけに大きく響いた。
女は動かない。ただ、かすかに「スーッ、スーッ」と呼吸の音だけが聞こえる。車内には自分しかいないはずなのに、その息遣いは確かに近くで聞こえている。
恐怖で目を逸らそうとした瞬間、ガラスの中の女が、ゆっくりと顔を上げた。血の気のない真っ白な顔、虚ろな眼孔。その唇がかすかに震え、「…降りちゃ…ダメ…」と声にならない囁きが耳元で響いた。息が首筋をかすめたように生暖かい。
次の駅に着いた瞬間、彼は反射的に立ち上がり、ドアが開くと同時に飛び降りた。ホームに転がるように着地した拍子に、鼻に焦げ臭いような匂いが広がった。慌てて振り返ると、電車の窓に女の顔がぴたりと貼り付き、白い手がガラスをガタガタと叩いていた。声は聞こえない。それでも口の動きで、何度も同じ言葉を繰り返しているのがわかった。
「……降りちゃダメ」
電車はそのまま闇へと消えていった。最後の瞬間まで、窓いっぱいに広がる女の顔が、ぎらぎらと目を見開いていた。
後日、その区間で数年前に飛び降り自殺があったと知った。最後尾の車両からだったという。
それ以来、彼は終電を避けるようになった。どうしても遅くなるときは、金を惜しまずタクシーを使うようになった。あの息遣いと、あの匂いを、もう二度と感じたくはないのだ。
👻 夜の自動販売機 👻
深夜2時、眠れなかった青年は、近所の路地にある自動販売機へ足を運んだ。そこは街灯もなく、赤と青のランプだけが闇の中でぼんやりと光を放っていた。
小銭を入れて缶コーヒーのボタンを押した瞬間、背後で「カラン」と金属が落ちる音がした。驚いて振り返ったが、誰もいない。静まり返った路地に自分の息遣いだけが響いていた。
取り出し口へ手を伸ばすと、そこには二本の缶があった。一つは確かに自分が押した缶コーヒー。だがもう一つは、錆びつき、ラベルが剥がれかけた見知らぬ缶だった。ラインナップにあるはずもない古びた缶を恐る恐る取り出すと、冷たさは異様で、水に長く沈んでいた金属のようにじっとりと湿っていた。
怖さに耐えきれず、彼はそのまま缶を持ち帰り机の上に置いた。飲む気にはなれず、布団にもぐりこんだが、なかなか寝つけなかった。
翌朝、机を確認すると、その缶は跡形もなく消えていた。代わりに水滴が点々と残り、それはやがて小さな手形の形を作っていた。子どもの手のひらほどの大きさで、濡れた指跡がはっきりと浮かんでいた。
震えながら雑巾で拭き取ったが、跡はうっすらと残ったままだった。それ以来、彼はその自販機を使うことをやめた。しかし、夜更けに窓を開けると、ときおり「カラン」と缶の落ちる音が風に混じって聞こえてくるのだという。
👻 深夜のタクシー👻
終電を逃した彼は、仕方なく駅前からタクシーに乗った。時刻は午前1時半。運転手は無口な初老の男性で、短く行き先を確認すると静かに車を走らせた。
窓の外は真っ暗で、人影も車の通りもない。エンジン音だけが車内に響き、眠気と不安が入り混じる。やがて、運転手がぽつりとつぶやいた。
「……後ろのお客さん、どちらまで?」
怪訝に思ってルームミラーを見上げた。そこには、自分のすぐ後ろの座席に長い髪の女が座っている姿が映っていた。確かに、乗ったとき後部座席には誰もいなかったはずだ。心臓が跳ね上がり、振り返ろうとしたが体が固まって動けない。
女は顔を伏せたまま、じっと前を向いているように見えた。運転手は淡々と車を走らせながら、もう一度尋ねる。
「お客さん、降りる場所は……?」
その瞬間、後ろから冷たい声が響いた。
「……ずっと、降りられないの」
恐怖で喉が詰まり、声を出せない。振り返ることもできず、ただ必死に前だけを見ていた。やがてタクシーは目的地に到着し、運転手がブレーキを踏む。ドアが開いたと同時に、背後の気配がふっと消えた。ミラーにも、誰も映っていなかった。
震える手で料金を払うとき、運転手が小さくつぶやいた。
「……今夜は、あんた一人しか乗せてないはずなんだけどな」
それ以来、彼は深夜にタクシーへ乗ることを避けるようになった。だが、今もあの時のルームミラーに映った“知らない女”の姿が頭から離れない。
👻 深夜の公園👻
残業を終えた帰り道、住宅街の近くにある小さな公園を抜けて帰るのが彼の日課だった。街灯はあるが光は弱く、ブランコやすべり台がぼんやりと浮かび上がっている。時刻は夜11時を回っていた。
その夜、公園に差しかかった瞬間、彼は妙な違和感を覚えた。普段なら子どもたちの声でにぎわう場所だが、当然こんな時間には誰もいない。だが、ブランコが小さく「ぎぃ、ぎぃ」と揺れていた。風も吹いていないのに、誰かが乗っているかのように。
足を止めた彼は、暗がりの中でうっすらと人影を見た。小学生くらいの子どもがブランコに座り、背を向けて揺れているようだった。こんな時間に、なぜ子どもが? そう思いながらも声をかける勇気は出ない。
やがて、その子どもらしき影がふと止まった。次の瞬間、ゆっくりとこちらに顔を向けた――はずだった。だが、そこには“顔がなかった”。月明かりに照らされた輪郭はあるのに、目も口も何もない、のっぺらぼうのような顔だったのだ。
全身に鳥肌が立ち、彼は慌てて公園を駆け抜けようとした。その時、背後からか細い声が響いた。
「……いっしょに、あそぼ……」
振り返る勇気はなかった。ただ全速力で走り抜け、自宅に飛び込むと、ようやく息が整った。だが、背中にじっとりとまとわりつくような視線だけは、いつまでも消えなかった。
翌日、同僚にこの話をしたところ、意外な返事が返ってきた。
「ああ、その公園……昔、夜中に遊んでいた子が事故で亡くなったって聞いたことあるよ。今でもブランコがひとりで揺れるって噂だ」
その日以来、彼は夜の公園を通るのをやめた。遠回りになっても、大通りを歩いて帰るようになったという。
夜の公園は静かで、人の気配はないはずなのに、どこか別の世界とつながっているのかもしれない。あなたがもし深夜に公園を横切るとき、揺れるブランコを見かけても決して近づかないほうがいい。そこに座っている“誰か”に気づかれてしまったら……もう、帰れないかもしれない。
👻 消えたバス停👻
それは、霧島市の山あいを車で走っていた男性が体験した出来事だった。仕事を終え、鹿児島空港インターを降りて市内へ戻る途中。時刻は夜10時を過ぎていた。普段なら国道を通るのだが、その日はなぜかカーナビが細い山道へ誘導してきた。迷ったが、彼はナビを信じてハンドルを切った。
道は両側から杉林が覆いかぶさり、車のライトだけが頼り。エアコンをつけているのに、窓からは生ぬるい風と湿った土の匂いが入り込んでくる。誰もいないはずの道なのに、妙に背筋がざわついた。
しばらく進むと、前方にぼんやりとした光が見えた。近づいていくと、それは街灯の下にある小さなバス停だった。木製のベンチが置かれ、その上に誰かが腰掛けている。
それは白っぽい服を着た年配の女性のように見えた。顔はうつむいたまま、まるでバスを待っているかのように動かない。
「こんな時間に、こんな場所で?」疑問が胸に広がったが、同時に、言葉にできない嫌な気配が全身を包み込んだ。
男性は車を減速させかけた。「声をかけた方がいいのかもしれない」そう思った瞬間、心臓が妙に早鐘を打った。理屈ではなく、本能が「関わるな」と告げているように感じた。
彼は無意識のうちにアクセルを踏み込み、そのまま通り過ぎた。横目で見ると、女性の顔は影に隠れてよく見えなかった。ただ、その存在だけが強烈に焼き付いて離れない。
怖いもの見たさでバックミラーを覗いた。だが、そこに映っていたのは闇だけだった。街灯も、ベンチも、そして女性も……すべてが跡形もなく消えていた。
息を呑み、しばらく言葉を失った。確かに目にしたはずの光景が、一瞬でなかったことになっていたのだ。
数日後、彼はその出来事を地元の知人に打ち明けた。すると、知人は怪訝な顔をしてこう言った。
「いや、その山道にバス停なんか昔からないよ」
さらに別の人は、声をひそめて付け加えた。
「何十年も前に、あそこでバスを待ってた女性が事故に巻き込まれて亡くなったって話がある。見た人は決して車を停めてはいけない……ってね」
夜の山道に現れた“ありえないはずのバス停”。もしあの時、彼が車を停めていたらどうなっていたのか――誰にもわからない。
あなたがもし霧島の山道を深夜に走ることがあれば、カーナビの案内には十分気をつけてほしい。そこに「存在しないはずのもの」が現れたら……もしかすると、あなたもその女性に出会うことになるかもしれない。