カーボンニュートラルとは何か~温暖化からの脱却を目指して~
- カーボンニュートラルとは何か~温暖化からの脱却を目指して~
- 思うこと①
- 思うこと②
最近、ニュースなどで「カーボンニュートラル」という言葉をよく耳にするようになりました。全く知らなかったので、自分なりに調べてみました。
- カーボンニュートラルとは何か~温暖化からの脱却を目指して~
カーボンニュートラルとは、二酸化炭素など温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡させ、その排出量を実質ゼロに抑えるという概念のことである。
人類が生きていくには温室効果ガス排出は避けられないため、排出を吸収という形で相殺することで、地球温暖化への影響を軽減しようとする考え方。
気候変動など地球温暖化問題がすでに深刻化しており、カーボンニュートラルはグリーン成長戦略の一環となっている。
製造業では「カーボンオフセット」とか「排出量実質ゼロ」という用語も使われている。
カーボンニュートラルの実現には、①排出分の吸収 ②排出量の削減 ③排出量取引 の3つの手法がとられる。
植物はすべて有機化合物でできており、種から成長するとき、光合成により大気中の二酸化炭素を取り込んで有機化合物を作り、植物のからだを作る。
そのため、その植物を燃やして有機化合物から二酸化炭素を発生させても、もともと成長するときに空気中に存在した二酸化炭素を植物が取り込んだものであるため、大気中の二酸化炭素の増減には影響がなく、カーボンニュートラルとみなされる。
一方、化石燃料は、太古の大気中から植物が吸収した二酸化炭素が有機化合物を経て化石となり、生物圏や大気圏から完全に離脱したもので燃焼すると大気中の二酸化炭素が増加するため、カーボンニュートラルとはならない。
化石燃料からの脱却を目指し、バイオマスエタノールなどのバイオ燃料、薪などのバイオマスを燃料としてバイオマス発電の推進、トウモロコシなどを原料とするバイオプラスチックを使用する動きも広がっている。
また、バイオエタノールの急速な需要拡大とともに、穀物市場における食料とエネルギーの資源争奪を生み出し、穀物価格の高騰とそれによる貧困層に飢餓危機という新たな地球規模の課題が登場している。
原子力発電は、CO2を排出しないが、2011年の福島第一原発事故のような大災害につながるため、脱原発の声も非常に強いが、カーボンニュートラルなクリーンエネルギー、急増する電力需要への対応、エネルギー安全保障などの理由により原発建設の推進、再稼働の動きが再び活気づいている。
出典:Wikipedia他
- 思うこと①
簡単であるが、自分なりに調べてみて、あらためてカーボンニュートラルという概念が分かった。
そもそも、地球温暖化を少しでも食い止めるためにできた発想であるが、なぜ温室効果ガスを少なくすることができないのか。
今の地球規模での災害や異常気象を見れば、もっと人類が地球に向けて、やさしい環境つくりをすすめていけば、達成できることではないのかとなんか矛盾を感じる。
勝手な想像であるが、各国が経済活動ばかりを優先させるがゆえに、このような温暖化が急速に進んでしまう結果をもたらしたのではないだろうか。
新型コロナ感染で、発生当初は各国がロックダウンを行い、ヒトの往来を禁止した結果、経済活動も一時停止した。
その結果、一時的にであるが、中国をはじめとする温室効果ガス(PM2,5など)が減ったという。温暖化にストップをかけられたのである。
人類はそれを目の当たりにして、ヒトの行動が、ヒトの活動が地球に悪影響を及ぼす一因になっているということを認識したはずである。
しかし、コロナが終息したと分かるとすぐに経済活動を再開。また同じことの繰り返し・・
人類は動物の中で、唯一理性や知性を持った動物であると言われる。
だからこそ、今こそ、地球のことを、今住んでいる地球のことを真剣に考え、自分たちの利益を考えるのではなく、地球全体の環境を考え直し、初めの一歩を踏み出す理性を持ち合わせてもいいのではないかと感じる。
温暖化に危機感を感じ、すでに行動に移している国や人々が大勢いることも認識している。
しかし、それはほぼ先進国のような余裕のある国が中心であって、途上国のような国は先進国に追いつけと、我が先にと経済活動を優先し、その結果、化石燃料を限りなく消費しているのである。
要するに、人類は経済活動を少し控えるべきではないかと言いたいのである。
例えば、個人的な意見で極端であるが、
- 人類全体で休日をもっと増やし、化石燃料を使わないようにする
- 地球にやさしい植林を少しでも増やす活動をする
- 地球がどれほど貴重なもので私たち人類にかけがえのないものであるかを見つめ直す活動を普及させる
- 人類の持つ最先端技術を民族・人種問わず、持ち寄り、共感し合い、地球環境保全に生かす
このようなことが、各国の利益云々なしに、できないものかとはがゆくなるときがある。
だから、私も行動の一つとして小さなことであるが、
- マイバッグを常備して買い物ではレジ袋は使わない
- マイペットボトルを使う(ペットボトルの再利用)
- 節電・節水(まめに電気を消す。余計なエアコンは使わない)
- 買い物やレジャーは公的機関を使う。車を使うのは荷物が多いときなど
- 植林などに募金をする
をしている。ほんとに小さな行動と思えるが、どんな行動でも実際に起こすことが必要だと感じて、子供にも言い聞かせるときもある。それが継承されていけばいいと感じるからだ。
地球温暖化を食い止めるには簡単にはいかないことは承知しているが、今、人類全体で行動を起こさなければ、地球はこのままでは本当に消滅に向かいかねない。
- 思うこと②
ここで、話はガラッと変わる。前から思っていたことがあるからだ。
個人的な感想で勝手な想像だが、ヒトは地球の蟻(アリ)であると言わせてほしい。
ヒトからしたら、アリは小さな生き物。
しかし、地球からしたら、ヒトも小さな生き物であるのと一緒である。
アリは集団で行動する。
集団で行動して、食べ物を確保するために、いろんなルートから、食べ物を嗅ぎ付け、せっせと運ぼうとする。
一匹の力ではなく、たくさんの仲間で行動するから、地中には大きな巣を作る。
それがアリの生活を支えるのである。
しかし、ヒトが知らずに、地中にアリが巨大な巣を作っていたら、どうなるのか。
知らないところで、アリ独自の世界を形成し、地球を食いつぶしていたら、地球はどうなるのか。ヒトもどうなるのか。
アリだからといって、ヒトも黙って見過ごすわけにはいかなくなる。
そのことが、私には、ヒトでも言えることではないかと思うのである。
かけがえのない地球を思うままに環境を変えていく。地球に穴を開け、ヒトが化石燃料を掘り起こす。
その化石燃料を燃やし、二酸化炭素を増やす。地球はそのようなことは望んでいないのに、ヒトが勝手に集団で行動し、地球を温暖化させていく。
山を崩し、森林を伐採し、ヒトの居住環境を整えていく。
そう思うと、ヒトは地球のアリであるし、小さな生き物であるが、本当に怖い生き物ではないのか。
理性を持っているヒト。だからこそ、地球のアリである存在ゆえに、地球に頼らなければ生きていけない。
地球の環境に依存しなければ、自然災害が起きたら、ヒトはどうすることもできないのである。
地球にもっと優しくなろう。賢く行動するべきだ。
結果として、最終的に困るのは、ヒト=人類である。
自分たちで首を絞めて、気付かずに動き、分かったときには手遅れになる。そうならないためにも、私も行動しよう。SDGsやカーボンニュートラルを意識しながら。
後世にこの美しい地球を残すために・・
コメント欄